日米安全保障条約を簡単に解説

日米安全保障条約を簡単に解説

「日米安全保障条約」は政治ニュースなどでよく耳にする言葉ですが、どんな目的で結ばれたのでしょうか。

戦後の日本とアメリカの関係性の下地となる重要な条約ですが、問題点も含んでおり、様々な議論を経て現在に至っています。

本記事では、日米安全保障条約が結ばれた背景と歴史、条約がなくなったらどんなデメリットがあるのかなどについて詳しく解説しています。

日米安全保障条約とは 

日米安全保障条約は、1951年9月にサンフランシスコ平和条約と同時に日本とアメリカとの間で結ばれた軍事条約です。

正式名称は「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約」で「安保条約」や「日米安保」とも呼ばれます。

戦争放棄と戦力の不保持を定めた日本国憲法9条とともに、戦後の日本の外交や安全保障の方向性を定めてきたともいわれ、アメリカ軍の日本への駐留の根拠にもなっています。

日本の自衛隊発足後、1960年に改訂され(=新日米安保条約)日本領域での共同防衛を規定しています。

日米安全保障条約 1951年の調印と改定の歴史

日米安保条約が調印されたのは1951年、日本が独立を回復したサンフランシスコ講和条約調印と同じ日のことです。

日本側で調印した人は当時の吉田茂総理大臣でした。この時の条約では、日本が米軍に基地を提供する一方、米国が日本を防衛する義務は明記されず日本側に不利な「片務的」条約でした。

1960年に同条約は改定され、米国に日本防衛の義務が課されました(第5条)。

これを受け同条約に反対する人々による「安保闘争」が激化するなど、日本国内でも大きな論争を呼びました。この時日本側で調印した人は岸信介総理大臣で、安倍元総理の祖父にあたる人です。

冷戦終了後、日米両政府は1996年、同条約の役割を「アジア太平洋地域において安定的で繁栄した情勢を維持するための基礎」と位置づけました。

2003年のイラク戦争では在沖縄米軍が派遣されており、日米安保は、米軍の世界戦略においても重要な存在です。

改定前の条約は、日本側に不利な「片務的」条約であることが問題とされましたが、改定後の条約は米国側から見ると不利な「片務的」条約だと主張する声もあります。

改定後の条約では、米国が日本に対して防衛義務を負うのに対し、日本は米国に対して防衛義務を負わないためです。

このように現在も片務性については議論があり完全に解消されていませんが、歴代の政権で積極的に改善が進められてきました。

日米安全保障条約のメリット・デメリット

日米安全保障条約には日米両国にとってメリット・デメリットがあるとされています。

メリット

日本国憲法第9条で戦争放棄をうたう日本にとって、日米安保条約は他国からの攻撃の抑止力になっています。

アメリカにとっても日本に基地を持つことには大きなメリットがあります。米軍艦隊が西太平洋からペルシャ湾までの広い地域で活動できるからです。

米国は「在日米海兵隊はアメリカ海兵隊として唯一海外に展開している即応部隊で、インド太平洋地域で紛争が発生した場合、迅速に展開できるよう即応体制維持の重要な役割を担っている」と公式に宣言しています。

日米安全保障条約がなければ両国の国防に重大な問題が起きるため、両国にとって重要な条約だと位置付けられています。

他国の例ですが、フィリピンは1945年から駐留していた米軍を1991年に米軍基地を民意によって一度撤退させた後、2015年に再駐留させています。

ソ連崩壊、中国による侵略リスクなど戦略状況の変化があったためです。このように各国にとって米軍基地の存在は国防上のメリットがあると考えられます。

デメリット

日本はアメリカに防衛力を依存することで、アメリカに逆らえない「対米従属」の状態を招いているという見方があります。

日米安保条約の解釈によって自衛隊の位置付けは日本国内で大きな議論を呼び、航空機事故や暴行事件などはいまだ日本国民に深い傷を残しています。

 

イラク戦争

2003年にアメリカが主体となったイラク戦争では、国連安保理が一致した対応をとることができず、フランスやドイツ、カナダなどがアメリカに反旗を翻す中、日本はアメリカの戦争に支持を表明しました。

国連安保理の決議は考慮もされないまま、日本政府はアメリカの要請に応じて陸海空の三自衛隊を戦地に派遣するという選択をしています。

 

横浜米軍機墜落事件

1977年9月27日に在日米海軍厚木基地を離陸した偵察機が、燃料満載の状態でエンジン火災を起こし、横浜市緑区(現青葉区)の住宅地に墜落する事故が発生。

多数の周辺家屋が炎上、全半壊しました。この事故で幼児2人とその母親3名が死亡。偵察機の乗員2人は機外に緊急脱出し無事でした。

1980年、被害者の夫が乗員の米兵と日本を相手に提訴。

1987年、横浜地裁は国の賠償責任を認めましたが、日本側が原因を調べることは最後までできず、アメリカ側は調査の結果、乗員に過失はないと結論づけ、整備側の責任問題にも触れませんでした。

日本の警察は業務上過失責任を明確にすべきと主張しましたが、事故の調査にあたった分科委員会は原因調査と対策が目的で責任追及は領域外であるとして、アメリカ側の主張を了承せざるを得ない状況でした。

 

沖縄米兵少女暴行事件

1995年9月4日に沖縄県で起きた在日米軍による少女暴行事件は、駐留するアメリカ海兵隊員2名とアメリカ海軍軍人1名の計3名が、女子小学生を拉致した上集団強姦した、強姦致傷および逮捕監禁事件です。

この事件では、“起訴に至らなければ、関与が明らかでもアメリカ兵の身柄を日本側に引き渡すことができない”という日米地位協定の取り決めによって、実行犯である3人が引き渡されなかったことが大きな問題になりました。

この事件は沖縄県民の反米感情を一気に強めました。

まとめ

  • 日米安全保障条約は1951年に日本とアメリカとの間で結ばれた軍事条約
  • 軍事力を持たない日本とインド太平洋地域に軍事拠点を置きたいアメリカにとって国防上の重要な意味を持っている
  • 1960年に一度改正され、アメリカに日本防衛の義務が課された
  • 日本にとっては対米従属せざるを得ない状況となるなど深刻なデメリットもある

 

 

<参考>
あさがくナビ 今さら聞けない「日米安保条約」…これだけ押さえよう【時事まとめ】
日米安全保障条約改定の歴史的意義
日経ビジネス | 安倍政権の安保法制、「米兵が死ぬ姿を日本人はTVで見る」に異議
防衛省・自衛隊 | 日米安全保障体制の意義
在日米海兵隊公式サイト | 基地 / 在日米海兵隊の地域での役割と活動
米軍、22年ぶりフィリピン駐留 新軍事協定に署名 – 日本経済新聞
沖縄の悲劇~米軍関係者による事件 写真特集
自衛隊を派遣するのか? 日本の選択は | 特集記事 | NHK政治マガジン
米軍偵察機墜落事故の原因と責任の糾明に関する質問主意書
「対米従属論者」が見逃している吉田茂の素顔 天皇制を守った吉田の愛国主義とは? | 読書 | 東洋経済オンライン

最終閲覧日は記事更新日と同日

タイトルとURLをコピーしました